ロマンスグレーって言葉、ソニーの盛田昭夫が作ったのだとか

この間、飲みながらユーチューブで懐メロを見ていて、この https://youtu.be/hFEHprI_aBQ?t=4598  岡本敦郎さんの「高原列車は行く」(昭和29年) のところにさしかかったら、司会の玉置宏さんがこの年に「ロマンスグレーという言葉も生まれている」とおっしゃっている(↑の動画は他サイトでは残念ながら埋め込みできず)。

ロマンスグレーって(まあ最近あまり使わない言葉かな)、昭和29年に生まれたのか、ってか生まれた年がわかっている言葉なのか…と思い、『日本国語大辞典』を引いてみると、

昭和二九年(一九五四)飯沢匡の同名の戯曲から流行した語

へぇー、ってか Wikipedia で調べてみたら、なんとソニーの創業者の盛田昭夫が考案したとなっている。ちなみに「匡」は「ただす」と読む。

考案者はソニー設立者の一人盛田昭夫。ソニーアメリカ社長時代、30歳代で白髪混じりとなり悩んでいたところ、アメリカ人の友人から「こちらではローマンティック・グレーといっておしゃれで憧れなんだ」と言われて気を良くし、帰国中にこのエピソードを「ロマンスグレー」と言い換えて話した。友人の中に小説家の飯沢匡がいて「それは面白い話だ」とオール讀物に同名の小説を連載し広まった。  当時の流行語となったので友人たちに盛田は「おれが本家だぞ」と笑っていたという。このエピソードは当時57歳の盛田が1977年10月14日名古屋市公会堂で行われた母校愛知一中 旭丘高校創立100周年記念講演で高校生を前に話した内容である。

出典) ウィキペディア : ロマンス・グレー

し、知らんかったよ。有名なのかなあ、この話。おいらは初めて知ったよ…。和製英語だとは思ってたけど。

まあ、上記ウィキペディアでは出典は明示されていないけど、旭丘高校ポータルサイトというツィッターでも取り上げているし、わざわざ母校の講演って具体的な話だし、まあ信用していいのかな。

ただ、ウィキペディアでは小説ってなってるのに、日国では戯曲ってところはちょっと気になるが。

またこちらの元は青土社の『ユリイカ』に掲載されたという

(略) ふしぎなことだが、飯沢匡は盛田さんの頭髪、容姿に触発されて「ロマンス・グレー」という言葉を思いついたのだ、と私は思いこんでいた。たしかに盛田さんはその頭髪に白髪がまじるのがお年のわりに早かったらしいが、1954年はまだ33歳だから、1954年当時すでにロマンス・グレーだったとは信じがたい。

後に記すとおり、私が盛田さんにはじめてお会いしたのは1959年であり、それでもまだ38歳だから、そのとき早くもロマンス・グレーだったとは思われない。しかし、私はたしかに盛田さんが、こういう髪をロマンス・グレーというのだ、と誇らしげに話すのをお聞きした記憶がある。

出典) http://www.akiomorita.net/contents/memories/018.html
想い出 - 「盛田昭夫」を語る - 盛田昭夫ライブラリー
「18 故 旧哀傷・盛田昭夫 (第一話) 著者:中村稔」

飯沢匡(ただす)が盛田昭夫から「ロマンス・グレー」という言葉を思いついたと思い込んでいたけど、それだと白髪混じるのはちょっといくらなんでも早くね、って趣旨。ただ、「ふしぎなことだが、~と私は思いこんでいた」としているので、この中村稔さんも、盛田昭夫から「飯沢匡のあれの元ネタはオレだよ」と聞いていたのかもしれないね。

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